戦艦大和
う~ん。気圧変化?足が…で、夜中に起きてしまった。
映画、男たちの大和を見逃したので、大和について書いてみたいと思う。
これは、あくまでも、私の兵器としての戦艦大和への個人感であり、批評や評論として記述する物ではないので、悲観的にとらえたりしないで欲しいと思います。
因みに、映画の話題はまったく登場しません(笑)。
んで、結論的なのはイツモ通り最後、それまではオタク系と愚痴(爆)。
↓↓以下に続く↓↓
日本人にとってだけでなく世界の人にとっても、旧日本帝国海軍の戦艦、大和は、大変に有名な艦艇であろう。
その最大の理由は大きさであり、全長263m(吃水線長256m)の巨体に、三連装45口径46cm砲塔を3基備えた、当時における世界最大の戦艦であったからであろう。因みに、現存する(現役の)最大戦艦は、イラク戦争などでも大活躍したアメリカ海軍のアイオワである。
このアイオワの同型艦であるミズーリは日本人にとっても感慨深い艦で、東京湾上に於いてポツダム宣言を受諾した旧日本帝国が降伏文書に調印した場所でもある。現役で使用される(B級退役艦だから、正確には使用されていない)アイオワ級はアイオワ唯1艦となったが、新造時同型艦は4隻建造され、BB-1アイオワはその第一艦である。
また、アイオワは米海軍が建造した最後の戦艦であり、新造当時の世界の戦艦情勢を鑑み33Ktクラスの高速戦艦として計画されたもので、結果としてこの大きさに『なってしまった』物である。それ以前の主力アメリカ戦艦はサウスダコタ級で、27Ktであった。大西洋以西におけるドイツ海軍との戦いで、高速戦艦の需要は世界的な規模となった。切欠は、ドイツの高速戦艦であったといっても間違いは無いだろう。
大和の最大速度は、公試27.46Ktと言われている。つまりこれは、一世代前のサウスダコタ級と同じであると言える。艦隊型戦艦として計画された大和には、10000nmの航続距離が与えられており、巡航速度は16Ktである。
何れも新造時の諸元であって、多数の改装を加えられた最終時の性能は未知数であり、恐らくこのデータよりは少ないものと思われる。
つまり、大和は最大の戦艦として計画されたのではあるが、最大の大きさにするために開発されたわけではなく、最小寸法化を目指したためにこの様な諸元となったと言えるだろう。
事実、新造当時の大和は「世界で最もコンパクトな戦艦」と言ってよいだろう。
戦艦は、洋上戦闘艦艇の中でも特殊な部類である。今では保有する海軍はアメリカのみになった。
主たる任務は海戦上における戦闘艦の撃滅にあり、計画の最も初期段階における主眼は「主砲」の性能にある。大和には、世界最大の威力を与えるために完全新設計の46cm砲が採用されることになった。
正式名称を「九四式四十五口径四十六糎砲」と言うこの主砲は、当時は世界で最も大きな口径を持った艦艇砲である。砲弾長は2m、様々な弾種が存在するが砲弾重量は約1.5t、最大到達距離約42km、初速約780m/sで、ライフリング(旋状溝)によって毎分60回転の砲軸回転運動を与えられるように出来ている(靖国神社で実物が見れる、人よりデカイのにはビビル)。
対するアイオワ級の主砲は50口径40.6cm砲で、口径比較では大和より小さい。
45口径(砲口径の前の数値、○○口径○○㎜など)とは、砲身長のことで口径の45倍であることを示す。つまり、約2070㎜の砲身長という意味であるが、砲塔から突出している部分の長さではない。砲弾が発射されて砲身内でたどる距離のことである。
この砲身長が長ければ長いほど、射程距離が長く正確(集弾性が高い)射撃が可能となる。初速が速くなることが主因で、同じ砲弾を発射すれば貫徹力も大きくなる。
アイオワ級では、砲身を長くすることによって威力と射程を増大する思想で、大和においては、口径を(弾頭重量を)大きくしそれらを達成する思想である。
少なくとも、どちらも敵主力戦艦の装甲を打ち抜く(貫徹する)ために、主砲の大きさが決定されているはずだ。諸説あるが(正確には不明だが)、アイオワ級の40.6cm砲の方が貫徹力も射程も長いと言われている。
口径と砲身長は、砲弾の大きさ、主砲塔の寸法・重量、給弾システムなど、多岐にわたる設計値の大元になるので、選択作業は困難を極める。
実際のところ、アイオワと大和のどちらが優秀な主砲であるかという比較は難しいが、大和の方が計画開始も建造も早いことは確かで、技術的な性能比較すること自体に大きな問題があるともいえるだろう。
兎に角、計画者達は仮想的であるアメリカ海軍の戦闘艦に対し最大限優位を保つための選択として、46cm砲を採用したのである。この口径は、艦艇砲としては未だに世界最大である。
大和の主装甲の厚みは、舷側部で41cm、砲塔装甲は65cm、甲板で23cm。これは、自身の持つ46cm砲によって有効射程とされる20km程度の距離で射撃された場合でも貫徹されない寸法とされたためである。
通常、戦艦や戦車の主装甲は、自身の砲を基準に設計されるが、大和の場合も例外ではないわけだ。ただし、この装甲厚は「厚すぎる」とされ、新しい計画「壱壱〇号計画」では40cmとされている。
対するアイオワ級の舷側装甲は30.7cmで、大和の装甲よりもかなり薄いがアメリカ軍の装甲の方が耐貫徹能力が優れているとされる事を加味するとおよそ40センチ程度となるようで、大和の主装甲が過大であるとも言えそうだ。
大和の設計においては、装甲重量を低減するために「集中防御」(コンセントレイティブ・ダメージコントロール、主要防御区画を小さくする:バイタルパートを小さくする)と呼ばれる方式が採られ、機関部や弾薬庫などに対する集中防御と共に、先端部などの装甲を薄くする工夫がなされている。この設計思想自体は、サウスダコタ級やフランスのダンケルク級が初とされているそうだ。
また、浸水に対する水密設計のために約1100箇所強の水密区画によって仕切られ、居住スペースなどの非装甲部からの浸水を最小限にするように設計されている。さらに、この水密区画の中には栓によって浸水の制御を行えるようにしてある部分があり、偏った浸水による転覆を避けるための復元機構が設けられている。
同型艦の3番艦として建造された「信濃」は後に航空母艦に改装されるが、公試運転の一部もかねた呉への回航中に嵐に遭遇した後、米潜水艦アーチャーフィッシュによって雷撃を受け、水密区画の不良で破壊され沈没している。諸説あるのだが、工事用配電線によって水密扉が閉まらなかった、そもそも隙間が数センチある部分もあった、注水弁の設計不良で復元注水できなかった、などと言われている。因みに、この信濃は世界の海軍史上最も艦歴の短い艦と言われている(わずかに2日)。
この信濃こそ壱壱〇号計画艦である(110号と111号は大和・武蔵の改良版としてスタートし、資材不足で放棄、110は信濃、111は紀伊との名称が与えられたとされる。110→紀伊111→尾張の説もある)。
大和型戦艦はワシントン軍縮会議によって頓挫した八八艦隊計画の延長補強として計画され、同型艦として武蔵が就役している。これら2艦共がアメリカ軍によって撃沈されているが、どちらも航空攻撃によるものである。
大和型の対航空防御思想は、甲板において200㎏爆弾直撃、舷側部は魚雷命中時に対する設計はなされていなかったと言われる。舷側装甲の厚さを増したのは敵戦艦砲に対するためであり、「水中弾」に対処するために厚い装甲部分を広くしたことによって艦首などの装甲が薄く、そもそも遅延信管付魚雷の対する水密設計が不十分であったため魚雷には弱い構造だった。
また、操舵に必要な舵は2系統備わっていて、主陀・副陀は後部艦底に前後配置されている。主陀が完全損傷すると副陀のみでは直進すら出来ず操舵不能となる。これも、魚雷攻撃に弱いとされる点の一つだ。
とは言え、同型艦の武蔵は20本以上の魚雷、大和も10本以上触雷しているので、防御設計が不足だったわけではないと言えよう。
対し、アイオワ級以降の戦艦ではバイタルパートを縮小するよりも、機関部とその駆動部に位相差を付けた配置の方が安全率が高いとされ、機関室と推進軸自体を前後に大きく移動(分離)している。この場合は全長が長くなり、40.6cm砲装備で装甲重量も少ないにもかかわらず、アイオワの全長は270mに達している。
実際のところアイオ級が沈没に至る致命傷を負ったことが無いため実評価は出来ないが、設計値としてはアイオワ級の装甲は自艦と同等の砲撃には耐えられない構造で、45口径40.6cm砲(サウスダコタ級と同じ)に対する設計がなされている。
つまり、単純な設計上の防御目標は、アイオワ級より大和の方が上であり装甲重量も大きいと言える。
大和の速力は計画当初、艦隊型戦艦として遅過ぎるものではなかったものの、空母機動部隊の基準最大戦速を30Kt程度に定めていた旧日本帝国海軍としては十分な数値ではないと言える。
この点、アイオワ級は主力戦艦の速度を補うために開発された経緯もあり、戦闘艦として標準的な速力を得ている。
ただし大和も、巡洋艦や駆逐艦に対し34Kt基準を求めていることから、戦艦主導の艦隊型艦艇としては鈍足だった訳ではないと言えよう。それでも、太平洋戦争期には航空母艦が主力であるから、艦隊型とすると速度不足であることは否めないだろう。
球状船首(バルバス・バウ)と呼ばれる形状を採用し造波抵抗を抑えたり、吃水線幅の最小化を図るなど、低抵抗かに対する努力を多く艦隊形状にとって見ることが出来る。これによって仕様上の必要馬力は軸出力で1万5千馬力ほど低減できたそうで、形状設計は27Kt航行にあわせた設計であると言う。
また、機関には重油専焼型のボイラーによる水蒸気タービンを採用しており、当時の艦隊型艦艇の最先端がディーゼルだった(主に燃費向上のため)ことを考えると少々時代遅れ感もあるが、機関維持の信頼性と速力保持のためにボイラーとなったようだ。日本のディーゼル機関に関する技術が幼かったのも事実だが、総合的な仕様設計という観点で見ると、少なくとも失敗はしていない。
これは、そもそもが発端の用途・目的を異にしてからであって、速力を与えるだけの出力を持った機関が存在しなかったと言う単純なものではないとも言えると思う。
加減速性能や停止性能、旋回時の安定性や復元力、稜波性や航続距離を相互に考えれば、決して運動性能の低い艦艇だとは評価できないはずだ。
これを示すのが運動性能の良さで、旋回圏は600m未満と言われる。当時の英米の主力艦が、主砲の威力と排水量で劣りながらも同等かそれ以上の旋回圏を有することからも、大和が身軽な艦である事が窺える。
大和・武蔵とも、レイテ沖海戦では多数の米軍航空魚雷を旋回によってかわしている。
旧日本帝国海軍の公試運転が一杯性能で行われない厳しいものだったから27Ktだとか、実際には30Kt出したこともあるとか、新造時のアイオワ級も日本式のテストだと30Kt程度しか出ないだとか…色々言われるが「実用上鈍足で困る」と言う評価はひとつも見当たらない。
一つだけ間違いなく言えることがあるとすれば、「64000t級の排水量で46cm級重武装戦艦にしては機動性設計が優秀である」という事だろうと思う。
呉工廠において建造された大和型壱号艦である大和の建造費は推定一億四千万と言われ、現在の貨幣価値で換算すると…2千5百億円近いのだろうか?兎に角、当時の国家予算の3%以上と言われるそうだ。この金額は、ベトナム戦以前における米軍空母のものに粗等しく、妥当な線であると考えることも出来るが…破格であることには違いない。最新の米軍空母の配備には兆単位の資金が必要だとの話もあるのだが…当時の軍用艦艇としても非常に高価であったようだ。
あまり日本の軍艦に関する正確な資料は無いのだが…最新鋭空母であった大鳳の建造費は1億円と言われているそうで、比較的高価な航空母艦よりも高かったことになる。
因みに、現在の自衛隊が配備するヘリ空母と呼ばれるDDH型護衛艦が1千億程度の建造費だと言われる事から考えると、やはり超高価だと言えよう。
ただし、航空母艦は搭載機とその搭乗員の養成に多大な費用を要するので、単純に「大和は高い」とは言えそうに無い。
建造に要した日数は1500日余りで、アイオワ級に比すると約1.5倍以上となるらしい。
また、同時期の日本の航空母艦建造に有した日数はおよそ1000日程度らしく、建造に工数が掛かってしまったことは否めないだろう。
ただし、最重要機密事項として扱われた艦艇であり、「御祓い」を行う神主まで海軍関係者に勤めさせるほどだったそうなので、単純に米軍より建艦日数が長いとも言えそうに無い。
そうは言っても、実際問題は「金食い虫」であり、対費用効果を考えると優秀とはいえないだろう。
事実、当の海軍でさえ運用には困ったようで、大和・武蔵ともろくに大きな戦闘には参戦しておらず、大和に関して言えば主砲の発射弾数は350発に満たなかったと言われている。
現在でいう東芝、東京芝浦電気製の食糧備蓄用の冷蔵庫を備え、艦内は冷暖房完備(通常冷房は必要区画に限る、または無い)、旧日本帝国海軍艦艇としては珍しいベッド(寝台)を備えていた(普通はハンモックネット)。居住性は大変に良かったという事だ。
これらを揶揄して「大和ホテル」などと呼ばれたそうだが、士官食堂の料理も高級ホテル並みだったとか…
大和ホテルと呼ばれる切欠は多く艦隊泊地において停泊しているせいで、主にトラック島や呉軍港にいたそうな…まぁ、高価で豪華な船だったことは間違いない。
ただし、戦艦という艦艇を海戦に有効利用できるような作戦立案が難しい時代でもあり、要地への艦砲射撃などにしか使い道も見出せず「運用のし様が無い」のが事実で、無駄に燃料を食わせなかったので偉いとも言えよう。
例えるなら軍旗、否、総理官邸やホワイトハウスの様なものだ。存在していることにも価値はあるとも思う。
そもそもは40.6cm(40糎)級戦艦として起案されており、パナマ運河通過(艦副33m以内)を考えると米軍には40.6cmクラスが最大で絶対優位を保てること、戦艦としては最大戦速が27Ktで十分との考えの下に「チャ~ンと」設計されているのだ。
しかも、随分とコンパクトに収まって、考えていた通りの高性能を発揮できたのだから、優秀艦以外の何者でもないだろう。
「所詮45口径で50口径を与えられなかった」(50口径40.6cmのが強い)なんてのあるけど、道程が2300㎜ですよ(2.3mで2.3cmも長い)。アイオワ級の50口径は大和より4cm短いし…
実際、長い穴をボーリングしてバレル研磨するのは非常に大変だし、熱の問題なんて5cm以上長い上に体積換算したら偉い違い…普通は無難な方を採りますって…開発・設計者はね。そもそも、46cm砲自体の実績が無いし…
「砲を9門も備える必要は無い」なんてのもあるけれど、3連装配置にもチャンと理由はある。重心位置と重量の問題を考えた場合と、連装の時は交互射撃(左右別々の射撃)時にとても安定が悪いことなどだ。
この、安定が悪いのと重心設計には密接な関係があって、重心位置に対する力点が離れると辛いのね。両脇で均等距離はなれた砲身が発砲衝撃を発生しこれを吸収…交互射を中心砲で行えば砲塔旋回機構の中心とベクトルは同心…
また、3連装とは言え3門同時に射撃することは無い。散布界対策なんて言って「中心の砲弾だけ変な空気抵抗を受けるのを避ける為」に両脇と中心は別々に射撃する。さらに「テクニカラー」なんて呼ばれるけど、着色爆煙を発する充填剤を仕込んだ弾頭もあったらしい(一式徹甲砲弾)、これだと着弾時に爆煙が違う色なので弾着修正がし易いんだけど、この場合も着色弾を中心砲に当てるとか使用法は多様なのねぇ…連射性能も上がるしね。
防盾なんて呼ばれる砲塔装甲の体積も減る(重量が減る)し、そうすると構造重量は大幅に減る上で砲塔内容積は増えるから給弾機構や砲自体の機構の設計が余裕を持てる…とかねぇ。
なんだかねぇ、試算すると連装砲だと最大幅が40mを超えて、さらには速力も25Ktを下回り、排水量は7万tクラスだそうな…世界最大の戦闘艦艇「原子力空母ニミッツ級」(初期で7万t後半、後期型は10万tを超える)よりデカくなっちゃうかも…
因みに、この主砲の照準を行っていた機構が「世界最大」(今でも)。今で言うカメラのニコン製で、当時の日本光學が作った15.5mの幅を持ったパララックス式測距儀(九八式方位照準装置)と歯車式計算機によって結合された射撃盤と呼ばれるいまで言う射撃統制コンピュータ(九八式射撃盤)がそれで、超多機能・高性能だったそうな…レーダーには敵わないけど…
運用上だって、捷一号作戦が計画通り実行されてればかなりの戦果を挙げただろうし(米軍は物資上陸中で護衛艦隊は貧弱だった)、何せ大飯食らいだから燃料がない…たぶんこれも見込み違い。
大和計画自体の発端は少なく見積もって1934年以前、この当時に航空母艦が有力確実なんて大口で言えた人は多くはないだろうし、こんなにも燃料で困る事を全体的に計算できたとも思えない。一方的に禁輸された訳だしねぇ…つーか、日本人でアメリカの意図と態度を正確につかんでいた人は少ないのだろうと思う。
今現在も少々似ている形勢だけど、アメリカは中国目線だったのね。インドシナ辺りから東南東系はオランダ領が多いわけだけど、オランダの防備に信頼置けないわけね。で、フランスもアテにならないと思ったり…中国の戦争(正確には事変)で日本が優位になってもらっては困る…というよりアメリカは中国が欲しい…みたいな、インドは難しそうな国だしイギリスだし…誰の手も付いてないしソビエト南下の脅威や対日戦線だけでなくて内戦もあるし…イケルジャン中国みたいな。
今も変わらないんだけど、中華人民共和国を国連で支持した時も同じ感じでしょ?「あれ、政権転換…チト待つか」→「台湾って便利ジャン(ベトナム戦辺り)」→「おぉ、育ってきたねぇ台湾。グーグーよぉ。」→「中国本土で内乱ねぇ。もチット待つか」→「何か結構確りして来たジャン中国、仲良くしようぜ!」。
だからねぇ。大和は悪くないのよタブン(笑)。
少なくとも、大和型戦艦建造に携わった技術者の方々は大変優秀でらしたのは事実でしょう?
結果論だけで攻めちゃねぇ。
と、大和を擁護してみる。
ま、僕は機械が好きってことですね。
なんか「機械は何時も悪くない」なんて台詞があったような…漫画?映画?小説?
忘れた。
■関連記事
↓戦艦装甲の与太話はこちら↓
http://zacky-log.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_c063.html


一気に読みましたが、なかなか読み応えがありました(笑)。凄く詳しいですね。
自分も昔、父の書庫に入って軍記ものを読み漁ったりしてましたから、この内容を読みながら「あぁそうだったなぁ・・・」と懐かしく思い出しました。
大和=大艦巨砲主義に取り付かれた時代の仇花的な見方も多いですが、細かく性能を見ていくと図体の割りに意外と俊敏なんですよね。さすが日本海軍の粋を集めたいるだけはあるって感じです。
但し・・・いくら高性能戦艦でも、戦艦自体の(海戦における)重要度がWW1までとWW2以降では大きく変わっちゃいましたから、運用がたしかに難しかったんだろうなと思います。航空母艦の量と、レーダー探知機の開発の差が彼我で決定的に違いましたから、結論は自ずと見えちゃいますよね。
投稿: flipper | 2007年4月 9日 (月曜日) 15:06
うわぁ、この長いのを読んで頂いたとは、ありがとうございます。
実は僕も同じクチで、父の所蔵に拠る所が大きいです。雑誌も多くて、丸とか…
子供の頃から昔の機械を見ると感動するクチで、終戦以前の軍用工業製品や、終戦後の「立ち直り期」の製品には本当に大きく心を動かされます。
ここに書いたことは、粗それらとNHK番組の受け売りなんですが(汗)
大和も、何度見ても「コンパクトで素晴らしい」と思います。とは言え、現物も無いし図面も全て焼却されたそうで…戦後再作図された物しかないそうです。
歴史にもしは不要だ、なんて言いますが、不測の事態だらけだったんだろうなぁ、と思います。それこそ、想定外なんて遥か彼方の事態だったでしょうから…でも、「当時にいたら」と思うと、選択の余地も無かったのだろうなぁ、とも思ってしまいます。
色々な方面に多少失礼な言い方かもしれませんが、結果から考えると善悪や良否はハッキリ付いてしまいますが、その過程を考えると…ってのは正直あると思います。
兎に角も読んで頂いて嬉しく思います(間違った情報も多数あるかもしれませんが…)。
昔を知る事や残していく事は、非常に重要なのだなぁ、と思っています。
投稿: Zackey | 2007年4月 9日 (月曜日) 20:29
初めまして、Zackeyさんこの大和の欄を今読ませていただいたざっふぃーといいます。
いやはや、私もそれなりに詳しいと自負しておりましたが、脱帽ものですよ、間違っている偏った知識で大和を語る人間が多い中、ここまでお調べになられた大変見ごたえのあるブログを見たのは、久しぶりでした。
大和の各種機構などに疑問点は無かったのですが、2箇所ほど指摘させていただきます。
まず、集中防御方式を世界で最初に採用したのはサウス・ダコタと言っていましたが、実際には英国の条約型戦艦『ネルソン』級が世界で最初に採用したようです。
ワシントン条約規定の3万5千トンでまとめるために、主砲を前部甲板に3連装3基を集中配備して、同時に機関部や副砲関連の弾火薬庫も中央部に集中的に配備しております。
その上に、艦橋も後の大和や米戦艦が採用していた、塔型をいち早く採用するなど、後の米戦艦や日本の新型戦艦の設計に大幅な影響を与えております。
実際米戦艦や日本戦艦に仏戦艦などの集中防御構造は、ネルソンのものを拡大、発展させた構造になる上に、これら全ての艦が塔型艦橋を採用しているなど、影響はこれでわかると思います。
昭和十年四月一日に出された、A-140の一番最初の試案では、完全にネルソンと同様の艦型となっています。
最初の部分で長々と書いてしまいましたが、もう一つは大和の燃料関係です。
戦後に発表された公式資料で、初期型の大和は最大燃料搭載6,250tで、16kt7200海里となっていますが、最終型と思われる資料では、燃料搭載最大量5000tで、初期型と同じ航続距離となっています。
この資料による差として、現在考えられているのは、初期型で搭載していた燃料ではこれ以上の距離を走れていたのではないか?という考え方が出てきております。
最後に、大和はレイテのサマール沖にて敵艦に対し、電探射撃を実施だったしていたようです。
大戦初期でビスマルク砲撃を行った、プリンス・オブ・ウェールズと同じ方法だったようですが。
中でも金剛だけは対艦用レーダーである22号との完全連動できるように、射撃方位盤と算定盤を改造していたらしく、それを証明する戦闘報告書も最近発見されております。
では大変長々と書いて、板汚しまがいのことをしてしまいましたが、失礼いたします。
投稿: ざっふぃー | 2007年8月 6日 (月曜日) 15:24
ざっふぃーさん。はじめまして。
本家本元のお詳しい方が来られるとは…ちょっとびっくりです。
また、いろいろとご教授いただきまして、ありがとうございます。
何分、私の記憶(知識)は幼少時の雑誌や戦記によるものが多く、特に社会に出てからは調べなおしていない物が多く、間違いや過不足があることには本当に申し訳なく思っているしだいです。
(ま、他人様が調べる切欠にはなるかなぁ…など思ってもおりますが…)
中期以降の大和が電探射撃連動の算定盤を装備していたことは存じておりましたが、実際に敵艦に対し射撃したことがあるのは知りませんでした。
僕の知識では、試射したものの結果が得られなかった物だと思っていましたが、昨今になって新たな情報は湧き水のように甦っているようですからね。勉強不足で申し訳ないです。
今回ご指摘いただいた点は、今後の参考にする上で、機会があればこの記事も修正加筆させていただきたく思っております。
(昨今仕事が忙しいので…何時になるかは判りませんが、笑)
この記事は、日本人の底力と言いますか、その時代時代で日本人エンジニアは頑張ってきたのだ、と言うことが主張したく記述した物です。
そうした唯の一個人が書いた記事を読んで頂いたことに深く感謝いたします。
今後も、突っ込みドコロ満載?の記事が載ることも在るかと思いますので、是非ご指導ください。
投稿: Zackey | 2007年9月24日 (月曜日) 18:15
戦艦とは特殊鋼でつくるのですか。そういえば日立金属さんがSLD-MAGICという世界最強の特殊鋼(工具鋼)をつくって、重大新製品の日本力賞や素形材技術の経済産業大臣賞に輝いていましたね。
素人で詳しいことはわかりませんが、こういう材料が当時あればもっと強力なものがつくれたかもしれませんね。
投稿: 豊田 | 2008年12月25日 (木曜日) 16:42