東京都知事選に思う…
最初に言っておくが、これは政治経済批評ではなく単なる独り言だ…
どうしてこう有名人しか出れないのかねぇ…
ま、有権者の大半が「有名人しか知らない」程度のレベルだって事なんだろうね。
それ以上に選挙にお金が掛かる実態の表れなんだろうね。
現知事は良いとして、現在の立候補予想者ってなにあれ…
①ハコモノ駄目ねとだけいってたただの庶民派頑固親父(クビになったし)
②芸術家肌の感傷的コミュニスト(いわゆる正統派アカだな、しかも思想家ではなく感傷派)
③知事になってTVスターになった、ただの情報公開屋
これさ、4人の実績だけ比べたら現知事以外に投票のしようが無い…
だって平たく言えば、「有名に成ってお金がほしい人」と「おバカな妄想家」しか出てないのだから…
↓↓以下に続く↓↓
さて、ハコモノ非難の共産党は時代遅れとして(笑)
↑共産党って魅惑的だけどさ、非現実的現実主義だからね…
事実、ただの言い争いでクビになってるしさ…
んで、政策的な話となると、首都機能とオリンピック辺りしか騒がれそうにない訳さ…
なんだかさ、いつぞやの有名芸能人が当選したときを思い出すよね。
あの人最悪だったでしょう?
何せ「都市博止める」が公約だったわけだけど…
あれでイッパイ弊害出たしさ、出来たのはお金の余裕だけでしょ?
しかも、過程は過半を過ぎていたのに突然止められて困った人はたくさんだったと思うし、東京は首都だし、大洋州を代表する都市だしね…
僕は、都市博中止は都史上最大の汚点だと思う。
きっと、あの時点で合理的なやり方はあったはずだ、とさ…
なんかさ…文化的なこと考えられないってのは貧相だよね。
ま、経済という名のお金にしか興味がないんだろうね。
その前の知事のお金の亡者ぶりに比べればましだけどさ、あれは問題外でしょ…
言えば、S氏の後半戦は「ただの悪人」だからさ…(爆)
環境問題とか情報公開ってのは、原則的な副次項目でしょう。
と僕は思うの。
これが前面に押し出されるなんてのは、もうすでに時代遅れだよね。
その割には、誰も温暖化を実感せずに「暖冬だねぇ」なんて言ってるし…
もし、これにだけに共鳴する人間が多いのならば、90年代から成長していない…ってことだと思う。と言うか、すなわち90年代に何もしなかったって事だ。
こういう問題で、「これじゃ駄目でしょ!」って非難をするのは、当然のことで悪いことじゃないとは思うけど、それを「こうするんですよ!」なんてのを仕事にするようじゃさ、田舎の知事をやらせればいいわけだと思うのよ。
何せ、ここは「世界の東京」だからね。
んで、現知事の最大の功績は「ディーゼル車の排除」ってよく言われるけどさ、これだけだったか?
もっと重要な領土問題やらいろいろ、イデオロギー的なものや文化的な功績があるでしょうに…
しかも、現在とあのころでは自動車業界の環境への取り組み方が違う。
あのころの日本の大型ディーゼル車ってさ、パワーと信頼性以外は最低ランクでしょう?
事実、オーストラリア向けの輸出大型車なんてガソリン車だったし(ま、オーストラリアに自動車産業が無いせいも有るだろう、あと燃料事情もね)、欧州じゃディーゼルの性能よりもその環境機能の開発に勤しんでた訳よ…
あれは今思えば、健全じゃない開発環境と税制に対する皮肉的政策だったと思うよ。
実際のところ、それで環境浄化が進んだ辺りが、日本が環境後進国であることの現れなんだけどさ…
80年代に始末しておくべきだった、道路特定財源問題なんてのを、今頃になって国政の場で必死に喧嘩し合ってるような状況だしね。
結局直感的な現状の結果しか興味ないんだよね。たぶん。
情報公開って言や聞こえは良いけど、本道は「ガラス張り」をやったN県みたいなのを言うわけで、ただ予算が見える様になるなんてのはIRレベルと同じだけ…(安)
問題は、そこにどういった理念があるか、というコンセプトが重要であり、ただ書面的に民衆のためになるなんてのは首都には求められない訳さ…とも思う。
そういう意味じゃ、ワシントン的な首都へ、東京の機能を移遷するってのはアリだったとは思うけど、現在の日本でそれが出来るのかというと疑問だ。
それ以前に、産業の周辺分散化自体が出来てない。
いわばバルブ期までにありえた思想だな…
大阪とか名古屋、福岡なんてがんばってるけどさ、あれに「お金の無駄遣いは止めろ」なんて真っ向から言う人が多い時点で、周辺分散なんて夢のまた夢でしょ…
ま、そういう意味じゃ仙台もがんばってるんだけど…
遷都するなら、まずすべきは国家全体的な観点での分散化が先だと思うし、バブル期には出来ただろうけど、今となっては現実的だとは思えない。
空洞化が叫ばれはじめた時にヤットけば良かったのにね…ホント、都市博中止が悔やまれるよ…
重要なのは、時代はゆっくりとはありながらも進んでいるということで、以前に言ったことを真っ向から踏襲しているかではなく、根底の理念は変えずに時代にそぐうように変形していけるか?というところだろうと思う。
国際的治安やら、世界的な文化価値なんての考え出したらさ、完全公開の民意主導化なんてのだけしてたら絶命的だと思うよ。
東京はさ、特殊なわけよ…
それが嫌なら23区(特別行政区)から逃げれば良い訳だし、それも出来ずに文句だけ言うのは傲慢というものだ。
そこが故郷の人には残念だけど…というかそれは別に考えてあげるべきだ。
憧れだけで住み着いたならそれなりに覚悟すべきだし…
横浜と東京は大きく違うのさ…
都市博問題じゃないけども、そういう意味ではオリンピックには夢があるわさね。
こりゃさ、あくまで東京や大阪だから夢があるわけで、衛星都市とは多少事情が異なるわけさ…
大局観的な話ね。
70年代から、「開発」というとハコモノ行政だったり産業誘致だったりという経済主導のものばかりだけど、経済が肥大した現在では一時的な経済問題よりも、長期的な都市文化問題のほうが重要であると、僕は思うの。
そもそもさ、日本語の難しい所でもあると思うんだけど、この場合の開発ってのは「叡智であり活用であり将来展望」じゃないかい?
まさ、日本人好みに言うと「でぃべろっぷめんと」(development)な訳さ、「りくらいみんぐ」(riclaiming)じゃねぇべ?
日本語で言えば「進化」だべ?
もし、東京が「誰もが住みやすい平均化された都市」になったとして、これは住民にとってだけ見れば有り難い事かもしれないけど、そのせいで日本の品位や安全が損なわれたら困るっしょ…
そういう意味じゃさ、東京って都市は「ある程度危険で住み難くとも」、国際的に羨望のまなざしを受けるような都市に変貌する必要があると思うけどね…
何せ、日本の首都なんだから…
でも、残念ながらビジネス志向で東京に住みたい外国人は少なくないだろうけど、「憧れの都、TOKYO」と考える人は少ないと思う。経済ではなくて文化的にね…
これって、日本が経済大国になった過程の問題なんだろうけど、お金で人間の豊かさは量れないと思うのね。
ま、そもそもお金がないと…何も出来ない社会構造なんだけど…資本主義って…そゆ意味では尺度の一つではあるけど…
近年の上海やらシンガポールを見ると、経済や政治的にどうかは別にして、「夢の事業」とか「文化的プロジェクト」ってのが有るよね。ちょっと羨ましい。
自分が生きたワケではないけど、高度成長末期からの日本ってのは「お金」に走って「夢や情熱」がなくなったと思うな…
首都高なんてのはさ、いまや「有料高架駐車場」なんて呼ばれるようになったけど、当時まさに夢の建造物「マーベラスプロジェクト」だったと思うのね。
それこそ、「首都高速全面改装」なんてのが実現できれば、「壮大な夢」だとは思うけど…ま、どう考えても無理だよね。
そこへ持ってきて、「商業的オリンピックの脱却を図りつつ、文化的開発と世界に貢献する」なんてのはさ、可能性は低いにしても実現性のない訳ではない壮大な夢だと思う。
「日本が、東京が良くなる」なんて言ってる場合じゃなくてさ、経済地盤の堅持なんかじゃなくてさ、情熱的な前進はいつでも必要だと思うのさ…
世界に誇れる文化的何かが東京人に有るか?って聞かれるとさ、今現状は答えに多少困るじゃない?
消費社会まっしぐらの時代なら、「LA名物の渋滞」見たいな事も言い得ただろうけどさ、「21世紀は文化の時代」って誰かが言ってたけど、そうなら経済発展なんかよりも主眼は都市価値だとすれば、やっぱり文化面だと思うのね。
近年の物で、「東京にはコレガ有るぜ!」って異邦人に誇れる物って少ないよね。
小泉元総理もCMやってたけど「東京へ、いらっしゃい」ってやつ、重要だと思うのよ。
もう、ビジネスパートナーと名乗るだけの、海外投資家ばかり来てもしょうがないじゃん。
防災問題ってのも叱りで、ロンドンやパリなんてのは近年高度な防災化を進めている都市だけど、どちらも民意主導じゃないし最初から「こうすればOKなんです」なんて政治公約としては掲げていなかったと思う。
あ…住民でも国民でもないから良くは知らないけど…
ロンドンは市民的ににも理解があったようだけど、少なくともパリ・セーヌ川治水問題はそうではなかったみたいだ。
パリっ子に聞けば「もう何十年以上も無いんだから氾濫しないよ」、「パリの文化だからセーヌを変えるのはねぇ」って感じだったのを、水面下の行政努力で進めてきているわけでしょ?
もちろんそこには、美観も安全も総括して、傍から見れば「遅々と」、でも着実に進んでる。つまりさ…認めてもらえるようになった訳だ…と言う事実がある。
これって文化的だと思うけどな…
何を隠そう、あの阪神淡路大震災だって「事前に予告した」科学者が居なかった訳ではなかったと記憶している。
結局のところ無視したのは経済主導の行政で、平たく言えば「お金どうすんのさ」って事だったと思う。民衆もそうだけど、行政の責任が大きいよね…たぶん。
科学者は政治家じゃないしから、言うだけで良いんだけど…
リーダーシップを採るのは政治家の仕事でしょ?
何度でも言うけど「具体的政策をどうするか?」なんてのは政治家の仕事じゃないし、前から言うようにそんなのは専門家じゃない政治家には出来るはずもない。
問題は、専門家の意見を踏襲しつつ「コンセプトワークにおいて如何にリーダーシップを発揮できるか」ということだと思う。
簡単に言やさ、「やつ等に仕様作れるか?図面引けるか?重機の操作できるか?」、「そもそも工学的なメカニズムのさわりすら理解できんだろがぁ!」って事だ。
あ…ここで言う工学は、工業に関することではなくてエンジニアリング(engineering)という英語の本来の意味ね。
だから、パリの行政ってのは間違ってないと思うし、シンガポールや台北(高速のトンネルね)も同じだと思う。
プロパティシート上で「こんなに儲かりました」なんてことは重要じゃなくて、「後世に対し如何に広範に財産を残したか」ということが重要だ。
ダイイチ経営書面なんてのはエコノミストのほうが上手に作るし、日本ではごまかすことは常套手段だ…本当は如何に見易い書面を作るかなんだけど…情報開示に関する見易い書面など見たこと無い。多くはただの数値の羅列だ。データー(値)と言うだけで、少なくとも統計ではない。
鉄道や高度建築みたいなものは、創り出すのに信じられないお金が掛かる。
今や、地方の損失路線は尽く閉鎖に追い込まれてるけども、ああいうのはナンセンスだろう。
ダイイチ、廃線に(撤去)するのは一時的なもので済むけど、再建するとなったら大変どころではない筈だ。敷設するにはm当たりに数十億円って掛かることもあるわけだ。
「経済・産業が周辺分散しました」ってなってから、「おい鉄道造ろうぜ」なんて言ったって後の祭り…
再度、用地買収から初めて…敷設工事まで至れば大した物だけども、そんな非効率なことは有り得ないと思う。
こういう一時的な財政再建のために、前人の血と汗と涙の結晶とも言える財産をあっという間に潰すのはまずいことだと思う。
本当のポジティブシンキングなら、「後に産業活性で使えるかもしれないし、史跡として保存しよう、その金は惜しむべきじゃない筈だ」ってのが健全じゃないか?
そもそも、鉄道は道路と少々違って「全く必要の無い場所」に敷設される例は少ない、理由は上で述べた「敷設に要する資金」なのだが、歴史的な温故知新をすれば「必ず役に立てることが出来る日」が来て然るべき場所に有るのだ。
某N県は民意主導でもあったが、それらの保全に少なくとも慎重だったと思う。
残念なのは「結局は赤字で財政を苦しめている」としか評価されなかった点だろう。
つまり、「都市の開発」というものは、直接的に経済開発や商業開発ではないと思うのだ。
ある独裁者は「サード・ライヒの都は中世の様にしたい」と語ったそうだが、それは「強ち間違いではない」と思う。
個人的には、都市に求められるのは都市機能だけではなく「文化的・健全環境的な資産」であると思うからだ。
その独裁者が正しくなかったのは、理想国家の建設のために「その他多くを単に破壊した」事だろうと思う。また、それが個人的野望に近かったのも否めないが…
問題は、現状を悲観すると「ネガティブだ」というくせに、歴史に学ぼうとすると「今は違う」といわれる点だ。
歴史は事実なのだから、「今は違う」というのは絶対にないと思う。問題は現在に置き換えてみてどの様に「当て嵌めるか」であろう。これこそ、温故知新であり「ポジティブシンキング」だと思う。
つまりは、「歴史を踏襲しろ」というのではなくて、「歴史に学べ」という事だな。
「今は環境問題や情報開示が流れ」なんてのは、ネガティブを超えて「ナンセンス」だ。
一時期「リストラ」という言葉が流行ったが、大きく誤解されていたと思う。
リストラクチャー(restructuring)は、「足きりではなく再構築」だ。レイオフ(lay-off)という文化のある国で生まれた言葉だから、日本で同様に使うのはオカシイ。
レイオフでは見切りがつかないから、「業態を足きりを含めて再建する」という再構築の一環であり、ただ単に首を切るのはリストラではない。
そも、日本の場合は、必要以上に、無意味に雇用していたわけだから、再構築以前の問題だったろう。
そういう意味で、日本は今過渡期にあるのだろうし、リストラ的に考え直すべきときなのではないか?
東京は、日本の中心なのだから、その最先端であるのは間違いないだろう。
だからこそ、「今を良くする」事よりも「将来を展望する」事の方が、幾許か重要であると思うのだ。
すべきことは「前進」であり、これは資本主義の根底にも近いことだと思う。
租税を低減するとかみたいな、目先の見当で当りを付けてはいけないのではないか?
そういう意味では、候補者の人間性を見るべき選挙でもあり、庶民派やら知名度などだけで争われていては、絶対にイケナイのだと思う。
候補者が、東京出身であろうと無かろうと、現時点の合理性がどうであろうと、長期的な観点に立ってリーダーシップを採れる人間を選ぶべきなのだろうと思う。
見据えるべきは、来世紀の東京だ。
それは大袈裟にしても。3~40年後だ。「今が」なんて「テイタラク」だよ。
お金や便利だけを追求するようでは、いつまでたっても「豊か」になることなど出来ないのだろう。
大げさに言えば、
今回の選挙は「都民の文化的資質」が問われるモノになるのではないか?
と個人的に思う。
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