ミノルタの話
ミノルタは僕にとって一眼レフの2台目でした。
その後XD2も使うのですが、minolta XDを使っていました。
だから、ミノルタは大好きです。
でも、ミノルタは今はありません。
以下、ミノルタファン(特にαファンとソニーファン)は読まないほうが良いカモ…
否、ミノルタファンはともかくソニーファンは危険です。↓
自分が使用していたから好きになったミノルタですが、ミノルタは偉い!と思っていました(今でも偉い!と思っていますが…)。
ミノルタをはじめて知ったのは親父のカメラでした。
親父は僕に譲ってくれたXDとXD2以外に(ミノルタではないが)3台くらい持っていたと思うのですが、当時のことは覚えていません。
最初は他社党でした。
その理由は、最初の一眼レフカメラが他社だったからです。
その、他社のカメラの軍艦部は銀色でした。
今ではライカは好きだし尊敬していますが、取り合えずレンジファインダー機に対しては対抗心を燃やせ、と教育された少年期の僕は、ライカと同じ銀色が嫌でした(笑)。
そして、アルミボディの銀はライカの銀とは違い…
安っぽいアルマイトの銀でした(笑)。
だから、XDを貰った時には痛く感動しました。黒かったからです。
「これで僕も一眼レフ人だぁ!」
それはもう幸せの限りで、「大人になった気分」でした。
無論子供です。
小学校すら卒業してませんし…
でも、うちが裕福だったわけではありません。
どちらかと言えば生活は貧乏臭かったかもしれません。
少なくとも「エンジェル係数高くねぇんだぁ(アンちゃん風、実は逆なのも笑える)」と言う言葉が出るほどではないのですが…
食生活や住環境は豊かではありませんでした。
3Cの内のクーラーと言うものが我が家に登場したのは、多くの家に普及し落ち着いた後に…さらに中古でした。
理由は簡単で、「ただの電気的熱交換器」だからで、特に新しいものでもなく、暑さなど根性で何とでもなるし、本当に裕福なのはセントラルヒーティングの延長上の集中冷暖房だからだ…と親父は考えていたに違いありません。
理由は、国内は勿論ですが、親父はヨーロッパやらアメリカに(当時としては)多く出張していました。
それに、結婚当初は横田近辺のアメちゃん将校向けの住宅に住んでいたそうです。
でも、クーラーの件は正解でしょう。
冷房はあまり必要ありません。
除湿は必要だと思います。
除湿なら冷媒もいらないはずです。
死にゃしませんよきっと…
おそらく環境への影響のほうが大きい。
あれ、脱線しました。恐らくF嶋Mほさんのせいです。
僕も下らない話をしていますが、僕以上に下らない話をしている人です。
この人の話は素直に聞くと、凄く正直な話のようでしたが、よく考えると下らない話でした。
だって、ただの文句です。
それを言うのが仕事の党ですが、ちゃんと仕事してほしいです。
それは僕も同じです。
僕は間違ってました…
あれ、また脱線しています。
そうです。
ミノルタは、世界で始めてフォト・キナにてTTLスポット測光のシステムを展示した会社です。
そして、何を隠そう!
XDは世界初の2モード優先機でした。
ま、直にプログラムAEが他社から出るんですが…
そして!なんといっても!
ミノルタと言えばα-7000です。
一眼レフに内蔵した本格的オートフォーカスの世界で初めてです。
僕の少年期の話です。
僕の少年期は、一寸変です。
少年期に限らず、中学の期間以外は一寸変です。
たぶん学生時代は、もっとも変です。
社会人になってからは、普通に変です。
一寸変な頃からXDを使い始め、
あまり変じゃない頃も使い続け、
もっとも変な時にも意地で使い続け、
単に変になった頃からあまり使わなくなりました。
僕はα-7000が嫌いでした(笑)。
α-7000のことは、登場当時憧れましたし、その当時はミノルタ党だし、尊敬と賞賛の眼差しというやつでした。
それが嫌いになったのはAFが嫌いになった時とほぼ同時でした。
中学の時もAFは使いませんでしたが、学生と生徒のはざ間の中途半端な時代にAFが嫌いになりました。
同級生に「今や、オートフォーカスじゃないとカメラとは呼べないよ」と言われて、これが嫌いになるきっかけになりました。
ダメ押ししたのは、AFのおかげで一眼レフが普及したことでした。
バブルのせいも有りました。
今思えば素直に凄いことです。
僕は卑屈な男でした…
みんな、「バブルの頃は良かったねぇ」と言いますが、僕はバブルの頃は大嫌いです。
バブルの頃は、確かに良い物も多く造られましたが、よく見せた物や高価な物が多くなった頃だったと思います。
カメラもそうですが、何しろ僕はバブルの頃の自動車に嫌いな物が多いです。
やたら高級なのに…特にコンセプトが無い…
コンセプトは「如何に高級にするか!」か?と言う機械の群れ…
この時代ほど、高級技術が発達した時代も無いのでしょうけど…
今思ってもバブルの頃が良かったとは全く思いません。
今思えば、α-9000と言う機材も凄い物だった。
その後も、αはAF専用レンズと言うのもあってどんどん増えていった。
やっぱり凄いと思った。
でも、天邪鬼な僕は凄いと思っただけだった。
他社のカメラが、スポーツ写真の最高機材としてもてはやされた理由が、AFとAEだった。
その時、ミノルタは偉い!と久しぶりに思った。
TTL測光もAFも世界で初めてじゃないか…
僕は間違っていた。
既に社会人だった。
僕は間違っていた。
僕はエンジニアだった。
僕はとても間違っていた。
僕が、間違いを強烈に示されたのがDimage A1が出た時だった。
手振れ補正は凄かった。
ハイエンドデジカメとしては、最高の機材だった。
コンパクトで、まさに未来のカメラだと思った。
もっと小さなハイエンドデジカメはあったが、A1はそれ以上にコンパクトだった。
ずっとハイエンドデジカメは他社製品を使っていた。
ハイエンドデジカメに関しては他社党だった。
その頃は、既にミノルタ党ではなかった。
A1で、僕は無党派になった。
僕は間違っていた。
ハイエンドデジカメは、無党派が正解だったのだ。
マウントが無いのだから…
あっという間にJPEGで撮影することをしなくなった。
僕は間違っていた。
その時、カメラは道具だと再認識した。
僕は間違っていた。
あるフィルム屋とミノルタの経営陣をうらんだ。
僕は間違っていた。
そうこうしているとミノルタの文字は無くなっていた。
僕は間違っていた。
そして、本格的にあるメーカーが嫌いになった(笑、バレバレ)。
恐らく、それが間違っていたことも、そのうち思い知らされるのだろう。
でも、僕は今のところそのことには気がついていない。
と言うより、そうは思っていない。
そのあるメーカーのせいで、カメラ業界がヤバイと思っている。
きっと間違っているのだろう…
そう願いたい。
ミノルタは、僕に「技術の素晴らしさ」と「システムの重要性」を教えてくれた。
そして何よりも、「ユーザーは単に良いものは買ってくれない」ことを身を持って教えてくれた。
残念ながら、その過程で「ミノルタは無くなってしまった」。


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