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2007年2月28日 (水曜日)

ホンダ党…では無い

最近のこのブログ、写真の話ばかりに偏ってる気がする…
ので、たまにはバイクの話でもしましょうか…

Cbr250f なんだか小さい写真で潰れてますが…開くとホンダCBR-250Fだということが判ると思います。何を隠そう、実は僕は90年代初頭までのホンダは大好きなのです。
では、何故「ホンダ党では無い」のか…
一言で言うと「本田党」なのです(笑)。
それは、ここを見ても解ると思いますが…

例によって、また長い文章でその辺を書きましょうか…
ま、あまり長いのもなんなので、「さわりだけ」という事で…

↓↓以下に続く↓↓

経営者としてどうか…は別として、エンジニアとしての本田宗一郎という人が大好きです。小生は、わずか10年ほどばかりではありますが、エンジニアとして生きてきて、それなりに考えるところがあります。
ほかの文面でもやたらと「コンセプト」という言葉を使いますが、これこそがエンジニアの本分ではないかと思うわけです。「良い物を作る」のは副産物であり、「理想のモノを創るためには何をすべきか?」と考えること、つまりコンセプトワークの延長線上にあるのがエンジニアの職務だと思います。
その意味で、正しいかどうかは別として「空冷エンジン絶対論」や「4ストローク神話」で知られるかの人を。尊敬し敬愛するわけです。

ホンダミュージアム(茂木)には、ホンダばかりでなく色々なオートモーティブの珍種が展示してありますが、実はこのブログのアルバムには「本田に縁の在る物」しかないのです。
これこそが、僕が「ホンダ党では無いにしても、本田党である」ことの現れであると思います。
実際、CFの空き容量や電池容量の問題も在りましたが、その限られた中で撮影したのがアルバムの写真たちで、そこにあるもの以外は一枚も撮っていません。また、これらの写真は、レタッチやトリミングも一切していません。
全部を本田に掛けて説明すると非常に長くなるので、一枚だけどうやっても不明であろうクーパーだけ説明しておきましょう。

クーパー・クライマックスは、言わずと知れたF-1の名車でもあるのですが、インディ500に参加したマシンとしても有名です。
本田宗一郎という人の本は五万と在るでしょうから、詳しいことは調べて頂くとして、本田氏はその時代からインディー500に興味があったようです。
現在、IRL(インディー・レーシング・リーグ)にも参戦するホンダですが、実はF-1参戦よりも長い紆余曲折の歴史がそこには在ります。
ホンダ第一期F-1として有名なRAシリーズですが、実はRA270というクルマが在り、これこそインディー参戦用に開発されたマシンでした。
これまた、深ーぃ歴史があるのですが…
現在では、それらを記した書籍は枚挙に暇が無いので、ホンダ好きの方は調べてみるのも楽しいかと思います。
と言う訳で、恐らく(僕の憶測ですが)、本田という人は「クーパー」に多大に影響を受けたのではないか?と思うわけで写真があるのです。

さて、恒例の如く話題がバイクからクルマに脱線しましたが…
ホンダのGPマシンといえば、有無を言わさず「RCシリーズ」である事は何方も異存は無い事だと思います。
RCシリーズは今でも存在していて、実用をかねて僕がほしいとすれば「RC45」がそれです。NC30も名車だとは思いますが…やはり「RC」と付くことで箔の違いを感じてしまうのは僕だけでもないと思います。
僕と同世代の方々が思い浮かべるホンダレーサーといえば「RSかNS」になるわけですが、実は僕はこのシリーズが好きではないのです。
ホンダは、「やはり4ストの高回転エンジンだ」と思うだけなのですが…
RSもNSも、乗っていた事があるので「嫌いだ」とは申しませんが、どうも「本田のマシン」というよりも「ホンダのレーサー」という気がします(笑)。
これだけ聞いても意味不明でしょうけど…

70年代までのGPレーサーと言えば、4ストロークが主流でした。
誰もがあこがれるドカもMVも、みんな4ストです。500cc未満でも同じです。
ま、ドカティやアグスタといえば、有名所は950cc辺りなわけですが、350ccの中排気量車にも名車が数多く有るのは周知の事実です。
ヨーロッパまで話を広げると…
パトンやらビモータやらそれこそ何冊分の書籍にも値するほどの文面になるので…
日本車だけに話を留めるとして…
やはり、ホンダは「RC」なんですね。僕の中では…

冒頭の写真は「HONDA CBR-250F」の86年式Ⅰ型なのですが、これは正確には僕がほしくて買ったオートバイでは有りません。
当時、僕がほしかったのは「YAMAHA RZ-250RR」でした。
理由は簡単で、2ストロークは自分でいじれるからです。何も、僕はヤマハ党ではありません。FZもTZも好きですが…
ヤマハのレーサーと言えば、TDシリーズに尽きるでしょう。彼は2ストです。と言うよりも、ヤマハ的には2ストであるのが必然だったのでしょう。
よく「楽器屋のバイク」と当時揶揄された事が書籍などに見受けますが、そういう事だと思います。「パワー出したきゃ2スト」な訳ですよ。
これは、本田宗一郎が「2ストにパワーで勝つためには倍は回せ」と言ったらしい事(聞いた訳ではないし…)からも解るでしょうけど、ある程度は精度が低くてもパワーが出るのは2ストなのは工学的にも明解です。
至極簡単、「機構が簡単だから」です。

先日NHKのニュースで「エンジンメーカーのヤマハが…」と、例の無人ヘリ輸出問題で伝えていましたが、社名こそ「ヤマハ発動機」ですが、ヤマハはバイク屋でもエンジン屋でもなく機械屋でしょう。
無人ヘリもそうですが、産業用の汎用ロボットなども開発しています。
そもそもは「日本楽器」というオルガン屋で、戦前はラッパ屋でした。ホントか嘘かは知りませんが(笑)、「ラッパ屋なら排気管も造れるだろう」と中島飛行機のエンジンの排気管を製造したのがエンジンに絡んだ最初の仕事だとか…
ま、栄の排気管が日本楽器製であることは有名な話で、アメリカでは「ラッパ屋がエギゾーストパイプを造らなければならないほど日本の工業力は低い」と言われたそうな…
ま、事実だったのかもしれませんが…
社名の由来はドウコウはよく知りませんが、船外機などが主力商品だったからでしょうか?
後にエンジン屋として勇名を馳せるのは、誰もが知ってる「ボンドカー」こと「TOYOTA 2000GT」のDOHCエンジンですよね。僕らの世代なら「ハチロク」か「セリカ」ですかね…
これは、ヤマハじゃなきゃ駄目だったのか…というよりも、トヨタにDOHCのような高回転機構を作るノウハウが無かった…というよりも、ヤマハから技術を買ったほうが安いから、と言う訳ですね。
実際、バイクの世界では既に60年代後半からDOHCエンジンは有るし、70年代にはギアトレインDOHCも存在しています。
冒頭の写真のCBRも「日本初のアンダー250の4シリンダーエンジン」で、カムギアトレインDOHCを採用していますが、今はもう無いようなイタリアのレーサービルダーはギアトレインDOHCを昔から造っていました。
理由は簡単で、高回転化するためです。トルク変動が無ければ(頭打ちしなければ)、回転数が多ければ馬力が出るからです。…当たり前か、馬力自体がトルクと回転数の積だモノね。
ま、強引に短く言えば、ヤマハはバイクレースをやっていたのでDOHCエンジンが造れたというわけですな…
アメ車は、70年代に入ってもOHVやSVですからねぇ…アメリカがメイン市場の日本の4輪メーカーはDOHCを作る必然は無い訳ですね。
これも馬鹿みたいな話ですが、トルクを出そうとすればストロークの長いエンジンを作れば良い訳で、簡単に開発したければ「排気量を拡大すれば良い」だけなのですから…

カワサキは、AMAやIMSA以外ではレーサーとして語るにも及ばないと僕は思うので、ま、個人的にカワサキのバイクも嫌いなのですが、触れない事にして…

「2ストローク」と言えば、やはりスズキ。
スズキのGPレーサーは、もう「2ストローク」です。50cc時代から500cc時代に至るまで、「2ストロークオンリー」と言っても良いメーカーではないでしょうか?
RGシリーズは誰でも知ってるGPレーサー群のひとつである事は間違いないでしょう。
ただ、それ以前のスズキが凄いんですよ。
4ストで頑張ろうというホンダ、2ストでパワーを得たヤマハ、さて、スズキはと言うと…
2ストでも高回転のスズキとでも言いましょうかね…凄いんです。
まぁ、その部品の精度と複雑さと言ったら「芸術的」なもので、「一万五千回転オーバーの2スト」と言うだけでも凄いんですが…50ccの三気筒や、果てや四気筒まで試作したってんですからねぇ…
ま、2ストの台頭で50ccのGPが流行らなくなったので、「50cc4気筒」は実戦に登場しませんでしたが、どんな音がするのか聴いて見たいものです(笑)。

さて、日本のGPメーカー3社を上げましたが、その内の2社は最初からエンジンパワーで戦おうとしたメーカーだと思います。そう、ホンダとスズキです。
ま、ホンダがマン島で「エンジンだけではいかん」と思ったのは有名な話ですが、当時の日本のメーカーにフレーム開発を本腰を入れて行える領分が無かったのも事実でしょう。
戦時中生まれの単車乗りに話を聞けばすぐに想像が付きますが、日本のメーカーが公道でテストを行っていたのはよく知られた話です。それも、GPレーサーのテストです(笑)。
至極当然、「サーキットが無い」のだから仕方ないのですが…
それ以上に、ヨーロッパに比べればレースが少ないのです。
平たく言えば、「レーシングマシンを創る為のノウハウを構築する場が無い」とも言えるでしょう。
必然、初期の日本のレーシングマシンは「エンジンパワーを追求するしかない」とも言えるかもしれません。
ホンダは培ってきたDOHCの技術で高回転化を図り、スズキは持ち前の細かい技術で2ストの高回転化を図った訳ですが、ヤマハはトータル的に頑張ったようです。
事実、市販レーサーのTDは国内では最強だったそうな…
故に、ヤマハは機械屋であり、今風に言えばシステム屋的なのでしょう。
いくらマフラーから販路を広げてエンジンを造る様になったとは言え、楽器屋時代から培った開発・製造技術の賜物なのかも知れません。
僕らの世代の市販レーサー(TZ)も、「ヤマハはバランスが良い」と言う記憶があります。
NSRもバランスは良いのですが、「乗らされている感じ」がする「只の早いマシン」と言う印象でした。

丁度、スリックタイヤがバイアスタイヤからラジアルタイヤになる変遷期でも有ったのですが、タイヤにたとえれば「ブリジストンがホンダ」で「ダンロップがヤマハ」と言った感じでしょうか?
NSRは限界が高いのですが超えてしまうとどうにも生らない、対しTZは限界の過渡期が掴み易いといった感じですかね?
同様にタイヤにたとえると「スズキはヨコハマ」ですね。
RGは、潜在的な限界は高いのですが…何分何処まで出来るのか不明(笑)。
しかも、限界に達したときに過渡期が判る事も在れば突然飛ぶときも在る…その上、妙に癖のある機体でセッティングが決まらない(爆)。
RG系を語る逸話としては、「壊れていても判らない(哀)」なんてのが有ります。
フォークオイルが規定量入っていないまま練習走行して、「どうも調子がおかしい」なんてセッティングを弄繰り回し、結局ベースセットが滅茶苦茶になってしまう…分解してみたら…?れれ?!「フォークオイル抜けてるジャン!」なんて、「何で普通に走れたのだろう?」なんて…
スズキのマシンが手が掛かる(よく壊れる)のはよく聞く話ですが、それに乗っていると「不調に気がつかない程に慣れてしまう」とも言えますが…逆を言うと「機構としての潜在能力が高い」とも言えるかも知れませんね…
コースレイアウトにもよるんですが、突き出しやイニシャルを弄っても「さっぱり判らない」不得手なコースが在るんですよ。個人差は有りますが…
同様に例えると、「TZはヤンワリと異常を知らせてくれる」で、「NSRはハッキリ判る」上に「気が付かないと怪我をする事になる」と言えるかも知れません。
実際の僕のチョイスはと言うと…TZで横浜タイヤだったのですが、本当のところ「RGは僕の技術では速く走らせられない」し、「NSRに乗ると死にかねない」と言う訳なのですが(爆)
タイヤがヨコハマだったのは、「柔らかいから」で、単なる個人的な趣味ですね。公道使用もヨコハマのゲッターシリーズを履いていました。お気に入りは「ゲッター007」でしたけど…

生まれてはじめて乗った単車は実はホンダ車で、その名も「XR50」でした。
以前、「中学生までは車もオートバイも好きではなく飛行機にしか興味が無かった」と書きましたが、XRに乗った小学生の頃も「感動はしたけど興味は沸かなかった」のが事実です。
父親がクルマ好きだった影響もあり、レースはガキの頃から好きでしたが、レース以外で自動車に自分が乗るとは思ってもいませんでした。
今のように単車好きになったのはツーリングが原因で、免許自体は「MFJのレーシングライセンスが取りたかったから免許を取った」だけで、多くの単車乗りのように「誕生日前から教習所に通う」ことも無く、教習所に行く事すらもありませんでした。
教習所に行かなかった理由は簡単で、「免許なんぞ取るのに10万円も出せるか!」と言う訳でして、それほどに公道を走る事に興味がありませんでした(笑)。
ま、そのお陰で「200時間近く練習する事になった」訳ですが、今では十数時間で免許を取らなくてよかったと思います。「単車はコケ無きゃ上手くならない」と思います。
そんな経緯も有ってか、「最初から一般車には興味が無く」単車乗りの癖して、オン・オフ含めてレーサー以外には造詣が殆ど有りません。
ま、そこ行くと「市販車開発のためにレースをやったホンダ車」を語る資格の無い人間な訳ですが…

僕を知っている人間ならば解ると思うのですが、「頑固で、偏屈で、さらに悲観主義」な人間ですから、「CBに乗れ」と言われても「持論が無ければ納得しない」ですから、最初にCBオーナーになったのも「悩んだ末」でした。
そもそも、「バイクに乗りたい」と言うよりは「高度な機械をいじりたい」と思っていたので、それこそ「CBなんか買っても触れない」ので、かなり悩みました。
実は、父親が元単車のりで「乗れるようになってからいじれ」と言われて、購入援助をしてもらう手前もあり妥協したのでした。
妥結点は「カムギアトレインDOHCインライン4の250cc」と言う事でした。
欲しくも無い運転免許(欲しかったのはサーキットライセンス)の為に、随分と練習所でコケまくって腕を磨いた訳ですが…
嫌と言うほど単車に乗って、気が付いた事が幾つか有りました。
練習所の単車は各社の4ストローク400ccな訳ですが、最も気に入ったのはFZ400でした。
練習所に有ったのは、CB400、VF400、FZ400、Bandit、の4車種でしたが、何れも「アップハンドル化された教習所仕様」でした。中でも、バンディットだけは「パイプハンドルのアップハン」で、その他はセパレートタイプのセミアップハンでした。
今考えても、バンディットのそれは「直立着座姿勢以外のポジションが滅茶苦茶」で、「フルロックの八の字をすると手首がタンクに挟まる」事や、「肘で胸を打つ」などのいやな記憶ばかり蘇ります(笑)。
さらにバンディットの(練習車として)嫌いだったところは、ニーグリップすると痛くなる所で、一日中乗っていると内膝が赤くなりました(爆)。

4車種の中で、最も載りやすかった順に並べれば、VF→CB→FZ→Bandit、でした。
僕が足を運んでいた練習所は練習車を自分で選択でき、時間の都合さえなければFZが空くのを待っていました。一番人気はVFで、CBは全車が出払ったときだけ登場していました。
FZ選んでいた理由は、もっともバランスがよかったからで、乗りやすかったからでは有りませんでした。最も足つき性が悪く、最もレスポンスが悪かったのですが、逆の言い方をすると「ちゃんと乗らないとちゃんと走らない」と感じたのでした。
バンディットは論外で、上でも触れたハンドルのフルロックがし難いのと「膝の置き場が無い」ので、練習にならないと思い殆ど乗りませんでした。
クラッチのクリアランスが最も多く、一番クラッチが敏感だったのもバンディットだったので、一本橋とスラロームの練習には結構使いましたけど…
殆どVFに乗らなかった理由は明白で、「練習にならない」からでした。大袈裟に言うと「テキトーに乗れば適当に走る」からで、気の合う仲間内では「セミオートマ車」と呼ばれていました。
ブレーキも同様に最もイージーで、「VFで単制動でコケル奴はアホだ」と揶揄されていました(笑)。また、唯一「ハンドルだけでスラロームが出来る良い子」でしたので、取り合えず自信をつけたい人や来たての人には大人気でしたが、VFばかり選んでいる人にはインストラクターから駄目だしを食らう人が多いのも事実でした。
ある程度乗れるようになってテクニックの練習を始めると、最もイメージが造りやすいのがFZでした。制動からのフルロックターンやスラロームで、それを顕著に感じる事が出来ました。
今考えればVFは、イメージしなくても勝手に走ってくれる感じでしたので「練習にならない」と思ったのでしょう。
反面、試験場では「VFに当たります様に…」とみなが考えていました。実際に僕が府中で乗ったのはバンディットだったと思いますが…

その後機会があって「ちゃんとした」セパレートハンドルのバンディットに乗りましたが、結構面白いバイクでした(笑)。ま、普通に走っているときはズーットニーグリップしてる訳でもないし、街中ではヒールグリップや腰を移動する事も重要ですしね…
VFはと言うと、市販のVFRも殆ど同じ乗り味でした(笑)。
これは、単に「ホンダのモーターサイクルが良く出来ている」事の証明だと思うのですが、市販車として良く出来ているから「良いバイク」とはならないでしょう。車は別ですが、オートバイに関しては「愉しくなければやってられない」ところが在るですしね。
練習中に気がついたことの一つが、イメージして運転する事の重要性でした。VFしかない教習所を卒業していたら、そんな事には気が付かなかったかも知れません。
(行った事ないから知りませんが教本には載っているので…)教習所でも「リーンとバンク」と言うのは習うのでしょうけど、これのイメージが容易に頭に浮かぶのがFZでした。
後は、切り替えしの「感覚的な軽さ」と言うか「鋭敏さ」が重要だとも思ったのでした。
足しげく方々の中古車屋を巡り、試乗させてくれた機体の中で「手ごろな価格で練習できそう」なのがRZやFZ、GPXなどの中でも程度の悪いモノでした。
(現在もそういう傾向ですが、特に)当時は、中身の程度よりも外見的な程度が大きく価格に反映していましたので、バイクブームもあり「傷まみれの掘り出し物」は今よりも容易く見つける事が出来ました。
中でも、RZは2ストロークで自分でオーバーホールも出来るし、長寿命車種なのでパーツもふんだんに有りましたので「欲しい」と思いました。
ヨーロッパに生まれていれば、(いじるという意味において)日本車は買わなかったかも知れません(笑)。

父親に、「良い出物を見つけてきた」と言われたのはそんな時でした。
「一ヶ月以上も探し回ったのに…」と内心は思いましたが、「RZが欲しい」と僕が考えているのを知っていて「わざわざCBを見つけてきた」ようでした。酔い越しか残業や出張以外には帰ってくる時間が正確だった父親が、「中途半端」な時間に帰宅していた結果がそれでした。
市内の「ホンダ・ウィング店」で、父親の同学(小学校)がやっている店でしたが、市場させてくれるとの事で早速行ってみました。父親が「息子の初めてのバイク」と言っていたにも拘らず市場させてくれるとは「酔狂な店だなぁ」とは思いましたが…
行ってみると、非常に程度の良いCBRが店先にスタンバイされていました(笑)。
店のオヤジ曰く「不人気車だから価格が安い」との事で、同程度の250cc人気車よりも破格的に安い出モノでした。
「初心者だから見える範囲で試乗してくれ」との事で、店の横の交通の少ない脇道で試乗する事になりました。
ほかの中古車屋に試乗に行くときも、先輩に免許を借りてまで「免許取りたて」を隠していたので、「新車を買う訳でもないのに…」と思いつつも、少々びびらせてやりたくなりました(笑)。脇道は2メーター少々の幅なので「どうせ発信・停止程度しか出来まい」と考えているだろう店のオヤジが気に食わなかったのもありました(爆)。
今思えば「若気の至り」ですが、発信停止程度の試乗など意味が有りません。ポジションの確認ならエンジンを掛けずとも出来るし…と言う訳で「パイロン無しスラロームとクイックターン」をやって見て、「意外にわざとらしく無いじゃん」と思いました。
その後まで知らなかったのですが、80年代までのバイクと言うのは今ほど高次元にバランスが取れていないので「それなりに癖の在るモノだ」と思ったのでしょう。唯一オートバイとして気に入らなかったのは「ドラムブレーキ」で、一般車のドラムブレーキ車に初めて乗ったので不思議でした。
「ブレーキが変だ」と店主に言ったら、「アンちゃんみたいな若造はこれで十分だ」と一蹴されましたが、「雨の日だけは気をつけろよ」と言われました。
本当は、「納車に一週間掛かる」と言われていたのですが、「店終わってても良いから明日取りに来な」と言われ、即決した記憶があります。
ついでに「何か有ったらいつでも持ってきな」と言われましたが、それ以来、事故って一度入院させた以外に一度も店に足を運ぶ事が無かったのは申し訳なく思います。

初めてのCBR当時は、一寸だけホンダ党でした。ホンダ党でなくなったのは、NSRが切欠でした。
待望のレースと言う事で、手始めに今で言うミニバイクレースに手をつけたのですが、そのときの乗機がNSR50だったのです。最初は気に入っていたのですが、TZに初めて乗った時に考えが変わりました。
断然、TZのほうが面白かったのです。
争いごとが嫌いな性格なのもありますが、レースは好きでも勝つ事には興味が無かったので「速いマシンよりも愉しいマシン」の方が良かったのです。
本田党になることのダメ押しは、CBR250Rに乗ったときでした。Fを手放す事になって、しばらくNSR50やらハスラーに乗っていたのですが、野球繋がりの友人が「これ買わない?」との事で話を持ちかけて来て「3万円」で購入した事故車でした。
気に入らなかったのは程度が悪いからではなく、上手く言えないのですが味が無いからでした。
程度の方も外見はさて置き最悪でしたが、バイクブームに乗っかった女の子が所有していて事故ったから手放した物でしたから、想像通りでした。事故って潰れたところ以外の外見は「妙にキレイ」なのですが、エンジンオイルは原油のようだったし、リアブレーキなどフルードが変質してレース用の奇抜なオイルのような色で、その利きがどうこう以前にスカスカでした。親の敵の如く踏めば利くので「自前ABS」と呼んでいましたが…
本人曰く「あまり乗っていなかったからキレイでしょ」との通りに見える部分はとても綺麗でしたが、何よりショックだったのは「こんな状態でもバイクは走るのか…」と言うところでした。

取り合えず、エンジン以外のバラせる部分はばらして組み直して見たのですが、フレームは信じがたいほど歪んでいるし、250cc未満に車検があれば絶対通過しないでしょう(笑)。
以前に、Fのカムギアトレインをバラして相当痛い目にあったので、暫くはキャブ以外にはまったく手をつけていなかったのですが、どうしても同調しないのでエンジンちゃんもバラす事にしました。
分解してみて吃驚でした…と言うよりも愕然としました。今よりさらにガサツだったので、最初の走行距離は正確に覚えていないのですが「1万キロ」は超えていたと思います。
憶測ですが、新車購入時から「一度もオイル交換をしていない」のではないでしょうか…各部は変な減り方してるし、所どころ奇妙な塊がこびり付いていました。
普通ならば「こんな状態でも動くのか」と感動しそうなものですが、偏屈な僕は「えらい衝撃」を食らいました。「何だよ、こんなんでも或る程度動くのかよ…」
これは、ホンダの技術力と開発力の高さの証明ではあるのですが、モーターサイクルは一部を除き単に実用車ではなく「趣向品」だと思っていたので(現在もそう思うけど)、嫌気が差しました。
CBR-Rは、ツアラーではありますが「レプリカライクなツアラー」ですから、ちゃんと面倒見てあげなくても走るのが許せなかったのです。
ま、それなりに「足」としては大活躍してくれたので、文句を言う筋合いではないのですが…

逸早く「CBR-Rを乗り換えたい」と思っていたのですが、趣味貧乏なので購入資金がありませんでした。「ま、ツーリングには使えなくないし良いか…」って。
暫くして「バイク仲間」から、「ザキ(当時のあだ名)にもってこいの出物が有る」と言われ、見に行ってみると「'88 RG-V250γ」でした。それこそ、「乗らなくなってほっといた」モノでしたからボロボロでしたが、辛うじて「片肺稼動車」だったので譲ってもらい自走して帰りました。
そのとき感じたのは「バイクってこうだ」っていうので、もう、アクスルベアリングの悲鳴からステムの軋み、ケーブルの取り回しのせいで糞重いスロットルやヘンチクリンなブレーキ達、挙句にはチョーク・プランジャが食い込んでしまいアイドリングに戻らない…嬉しくなりました。
自宅までの50㎞程度の道程で、これほどまでに「感じられる」のは本当に嬉しかった。まるで砂漠ラリーでもしているかのような、2時間程度のディスカバリーな旅行…
さらに、自宅で整備しなおして感動に至ります。
外見はボッコボコだし、放置車だから腐りかけていたのにも拘らずも、掃除して組み直し調整するだけで生まれ変わりました(笑)。
最初の所見が「片肺」だったせいも有りますが、2発が同調しそれなりにキャブセットを終えると、化け物に遭ったかのような感動を覚えました。
4千近くまではまったく使い物にならないのに、バンドに入るといきなりピーキーに立ち上がり、8千前後の起伏は操る愉しみがありました。それこそ「クラッチ使わないと死人も同然」な感じで、わざわざピーキーにして愉しみました。
とは言え、外見はボロボロのままで、仲間内からは色々揶揄されましたし、ツーリング中にコーヒーを沸かしていて「大丈夫ですか?」と声を掛けられた事も多々…(笑)
第一ハスラー50時代にもその毛はあったのですが、これで完全にスズキ党になりました。

スズキ一辺倒かと言うとそうでもなくて、ダート系の競技ではKDX(カワサキ)やCRMも使っていましたし、4ストでもXRなども使いました。
どれも理由は簡単で、廃車屋で安く手に入ったからと言うだけで、初めて新車を購入したのは社会人になってからでした。
最初の新車は「aprilia RS250SP」でしたが、現物を上野で見て「即効買おう」と思いました。
行きつけのエビナタイヤでタイヤ交換している間にポスターをよく見ていましたし、GP小排気量で連覇していたのも知っていましたが、最大の購入理由は「スズキ・エンジン」でした。エンジンがRG-Vと同じベースを使っているのです。
それを知ったのは月刊オートバイの誌上でしたが、「早く発表にならないか」と待ち遠しかった記憶があります。
正規輸入がボスコで始まる前に、「バイク街に実車がある」との事で早速見に行きました。その時は、舐め回すように見入るだけで触る事さえ出来なかったのですが(笑)…
後日、近所のレッドバロンに展示車があるのを帰宅途中に横目に見つけ、その時は店が閉まっていたので週末見に行きました。当時は、宴会などのイベントが無い限り定時に仕事が終わる事など無かったので、毎晩のように遠回りしてレッドバロンの前を通って帰っていました。
週末行ってみると陳列されていたのは売約済み車で、レッドバロンで輸入できる事が分かりました。先早に長期ローンで注文を入れ(笑)ましたが、「納期は三ヵ月後」と聞かされ同時にショックを受けました。「レジアーニ・カラーなら3ヶ月は掛からない」との事でしたが、GPレーサーを手に入れるのは人生の夢なので、まず第一歩として「純正レプリカを」と決意したのでした。
残念な事に、その後ボスコが正規輸入をはじめ、準備在庫だったものが僕より後に注文した人でも先に手に入れられることが判明(笑)。なんと、(近畿地方で)ツーリング中に僕が注文していた「チェスターフィールド・ワークス・カラーのSP」が実際に走っているのを見かけました(涙)。
後で知ったのですが、僕のは「日本向けのファースト・ロット」だったそうな…
悲しい事に、右直事故で廃車になってしまいましたが(修理すると新車より高かった、と言うかフレーム載せ換えという笑える状況で…)…
一方的に突っ込まれたとは言え、僕の過失も皆無な訳ではないので、貴重な機体を喪失してしまった反省はありますが…

オーナーに聞くと「97以降のRSは乗り易くなった」そうですが、初期型のSPはガンマ以上に癖の有るマシンでした。
しばしば微妙に調子が悪くなるのはガンマ同様ですが、乗るのにコツが要るマシンでした。一言で言うと「イタ車らしい」と言う事になりますが、一寸だけ「ドカに似た」乗り味でブレーキを使わないと全然曲がらない(笑)。
上手く乗ると、恐ろしいほどクイックな倒れ込みですが、乗り方を間違えると「直線番長」になってしまう…(爆)
ま、簡単に言ってNSRやらTZRに対してまともにコーナー勝負を挑めば大敗を喫します。ハイグリップタイヤを履かせれば、突っ込み勝負で頑張って危ない立ち上がりで辛勝できるのですが…
丁度「リッターバイクブーム」でしたので、通勤の信号待ちは愉しかったです。
新奥多摩街道が通勤路だったのですが、一寸元気に走っていると大柄のお兄さん達に勝負を挑まれる訳です。ナンバー見ても分かりますが、2ストの時点で小排気量車であることは一目瞭然ですから、直線番長さんたちにはよく流し目で誘われました。
残念ながら彼らは、4分の1程度の排気量しかないチビに涙を呑まされるわけですが…
職場でも「大排気量車で小僧をブッ千切るのは快感だ」と、大型乗りが自慢げに話していたので、世の中一般的にそうだったのでしょう。
最も面白かったのは、ツーリング中に煽られる時でした。ショートコーナーの連続する急な峠道は、一般的にパワー勝負で、上りでは必ずと言って良いほど煽られました。
素直に行かせた様に抜かせてガッカリした輩を、後続して「フロントで突っついちゃうぞぉ」的なテール・ツー・ノーズ?を、ツーリング装備の満載状態でするのが少々愉快でした。
ゆっくりとツーリングを愉しんでいるのを邪魔されるのは、本当に腹立たしい事です。
特に多かったのは初心者大型ライダーらしき方々で、本当にビックバイクブームは恨んでいました。バイク乗りは他人のツーを邪魔しないものだし、礼儀を弁えている者が多いので、好き者は「ゆっくりと背後に付いて意思表示」をしてくれるものです。かのような場合は、こちらも手を出して先に行かせると向こうも手を振って挨拶してくれるものだと思います。
以前は都会でも、すり抜けの最中に譲り合いや手振りや頷きの合図がありましたが、昨今はツーリング先でも少なくなりました。
入院以来、公道を走ってないので分かりませんが、ピースサインでも出そうものなら不思議がられるのでしょうか?

ホンダ党ではないのですが、本田のマシンが嫌いな訳ではありません。
学生時代にバイク便のアルバイトで使っていた、VTRがそれです。バック・トルク・リミッターには、本当に助けられました。気兼ね無く、クイックシフトできましたから…
恐ろしく直進性に優れるし、それでいてチャント寝てくれる…今考えても不思議な高性能バイクでした。
バイトの仲間内でも「指二本分あれば躊躇せずにすり抜け出来る」と賞賛されていましたが、それほど大袈裟な評価でもなく、周囲の交通に目を配りつつも真っ直ぐ走るお陰で大変に楽なオートバイでした。
また、都会の仕事では騒音が大きく自分のエンジン音が聞きにくいので、タコを見ずにダウンシフトできるのは重宝でした。その分先や周辺を見れるので、直進性とあいまって安全性に多大に貢献していたと思います。
VT系もツインながら超フラットな特性だったので、シフトアップはスピード感だけでOKだし、ダウンシフトが気兼ねないのは一石二鳥で、機動にだけ注意すれば良い訳ですから…

同様に、スーパー・カブも好きなオートバイです。
あれほど、いい加減に操作しても安心なバイクも無いでしょう。燃費も抜群だし、そのバラツキも殆どありませんしね。
「カブラー」と呼ばれる、カブをこよなく愛するツアラーの人たちの気持ちも解ります。
やっぱり、機械は人間の造った物ですから、心が通い合わなければ悲しいですしね。
また、道具としてみたときも、使用用途や特徴のハッキリした、個性的なことは重要だと思います。
何に使ってもOK、つまり、汎用性が高いのは良い事ですが、何に使えばいいかハッキリしないのは落第点でしょう。
近年のホンダの機体達は、すべての面を総合してよく出来ているのは認めますが、個性が無い…というか、酷い言い方をすると「特徴が無い」。
しいて特徴とするならば、「良く出来ている」事でしょうか…
流用部品は多いし、踏襲設計も素晴らしく多い、リーズナブルで結構な事では有るのですが、やっぱり趣向品にはギミック的な要素が欲しいと思います。

僕が、スズキが好きな理由は至極明解で、「壊れる」、つまり「存外に扱うと機嫌を損なう」所です。
心が通い合う的な表現をすれば、「いつも気に掛けてあげないとスネル」とも言えるでしょう。使用者の観点からすれば、意思の疎通が取れている様な気にさせてくれるのです。
ちゃんとメンテしてあげれば結果を出してくれるし、ただ乗っているといつの間にか不調を来たす。まるで生き物のようです。
形在る物みな壊れるとか言いますが、まさにそれを具現化したような感じでしょうか?
この言葉って、誰がどういう意味で創ったのか知りませんが、恐らく愛の言葉なのではないかと思うのですよね。
「壊せる」ではなく「壊れる」だから、「壊れないようにしてあげよう」と言う意味ではないかと思うのです。
不調を来たした時は少々嫌な気分になりますが、それが治った時の爽快感は堪りません。
無論、意味無く壊れるM社のOSのようなのは好きでは有りませんが…

ホンダ党ではないけど本田党だし、ホンダが嫌いなのではなく、ホンダの製品の多くが好きにはなれないだけで、ホンダのマシンにも好きなものはあります。
CBRの事を悪く書いた部分もありますが、600F4や最初に乗った250Fは好きなマシンです。
ホンダやソニーが、単に革新的なメーカーではなくなったのは時代の流れで、ホンダが悪い訳ではないとも思います(ソニーは一寸考えが違うけど…)。
ホンダという会社は非常に大きく社会貢献しているし、働く人に聞いても企業理念をしっかり持った会社のように見受けられます。

何度かホンダの中途採用試験を受けて落第しているのですが、試験問題にも面接にも個性がある会社でした。
多くの会社が、技術者中採試験の筆記問題で「学校の勉強の様な感じの」一寸だけ難しくした問題を出す中で、ホンダのそれは「簡単だけど知らなきゃまったく解らない最低限」のものが多く、一言で言えば実践的な問題でした。
面接でも、志望理由や職歴の項目などの「誰でも模範解答を容易している」問答は事早に、具体的な質問をされます。昨今は就職氷河期の様な、年功序列な役職パーソンのくだらない面接は減りましたが、今まで受けた採用面接の中では実質的で有意な面接をする少ない企業の内の一つでした。
ま、一度も採用されていないので…とやかく言える口ではないのですが(爆)
あの筆記試験の多くの問題が分からない人間は…技術者としては「失格どころか学習してください」と言うところでしょう。
電気屋も機械屋も同じ筆記問題を受けるのですが、物理・化学に始まって機械・電気まで広範の簡単な問題が出るのですが、専門分野が何だろうが「工学屋として知らなければいけないこと」しか出ないんですね。しかも、簡単な問題だけ…
ま、僕が筆記に受かるのだから…簡単さ加減は「折り紙付き」と言えるでしょう(爆)。

ぜーんぶ落ちたのは最終面接で、オートバイの車両開発部門を志望して、「好きなオートバイは?」と言う質問から「乗っていたのは?」となって…、その先は「オートバイ以外ならばどの様な部門がご希望で?」と言う話になって、「栃木で飛行機」となり、「以上です」で終わり(笑)。
いつも感触は悪くないし、複数回採用試験を受けてるんだから記録も有るかも知れないし、いつも似たような事聞かれて変化が有るのは当方の職歴の業種が増えているだけ…
勝手に憶測すれば「ホンダの製品が愛せない他人は駄目」って事なのかなぁ…(爆)

ま、最後にもう一度書けば…
ホンダという会社は大好きです。
でも、その製品すべてを愛せません。
特に、近年の製品は愛せません。
中には、溺愛できるような製品も存在します。
と言うところでしょうか…ね。

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